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出張買取Flowerではミシン、カメラの他に『日本人形』の買取も始めました!

ひとえに日本人形と言っても様々な種類があることをご存じでしょうか?
代表的な『市松人形』をはじめ『木目込人形』『御所人形』や工芸品で知られている『こけし人形』も日本人形の一種になります。
またマニアの間ではかなり有名な『サクラビスク』という名前の人形があります。
大正時代から昭和の初め頃に作られていた人形で、おかっぱ頭で黒目の陶器製の頭部に洋装しているのが特徴です。
もともとサクラビスクの『ビスク』とは、19世紀にヨーロッパのブルジョア階級の貴婦人や令嬢たちの間で流行した人形の名称である『ビスクドール』の “ビスク” から由来し、日本文化に馴染みの深い植物である “サクラ” と合わせて名付けられたものだと言われています。
また人形を横にすると瞼を閉じる通称『眠り目』というギミックがされている人形も存在し人気を集めています。
前置きはさておき、当社出張買取Flowerでは日本人形やビスクドールなどの古い人形、五月人形やこけし人形の買取の開始とともに、当ブログでは出張査定により高価買取をさせていただいた日本人形のご紹介や高価買取のコツ、買取の際のちょっとした豆知識などをアップしていこうと思っています!
人形はお持ちになられていた方の想いやこだわりが特に強く出るお品かと思います。
またそれ以外にも故人の残した人形や大切な方から贈られた人形というケースも多く、人形をそのまま処分するというのは抵抗があるというお話もよく耳にします。
処分にお困りの日本人形やご自宅の押入れなどにしまい込んで眠ったままになっている古い人形などございましたら、是非当社出張買取Flowerまでお気軽にお問い合わせ下さい。

日本人形の主な種類

市松人形(いちまつにんぎょう)
日本人形の代名詞とも言える着せ替え人形の一種で、桐塑または木で制作された頭と手足に胡粉(蛤粉ともいう)を塗ったものに、おがくずを詰め込んだ布で出来た胴をつなげた日本人形になります。
名前の由来は諸説あり、江戸時代中期の歌舞伎役者 “佐野川市松” の “市松” から由来されたという説、当時 “市松” という名の子供が多かったので子供の人形という意味合いから名付けられたという説、人形の衣装に “市松模様” を着せて売られていた為、その名の通り “市松人形” と名付けられたという説があります。
また東人形、京人形とも呼ばれ京阪地方では『いちまさん』の愛称で親しまれており、現在もコレクターが多く人気の高い日本人形になります。

木目込人形(きめこみにんぎょう)
木製の人形の一種で、桐塑または木で作られた人形に衣服の皺や模様の形に本体に筋彫りを入れ、その筋彫りに目打ちなどで布の端を押し込んで衣装を着ているように仕立てた日本人形になります。
この筋彫りに布の端を押し込む動作を『木目込む(決め込む)』ということから “木目込人形” と呼ばれるようになったと言われています。
賀茂人形、賀茂川人形、柳人形とも言われ、1739年に京都の上賀茂神社に仕える雑掌(雑事を司る者)の高橋忠重が柳の木(ヤナギの木)で祭器の柳筥(やなぎばこ)などを作り、その余材で彫った人形に古い衣装の裂を貼ったのが始まりとされています。

御所人形(ごしょにんぎょう)
御所人形は江戸時代から京都で作られた観賞用の子供の形をした日本人形になります。
木彫の上に胡粉を塗り重ねて作られ、真白な肌と三頭身が特徴です。
その姿から「三つ割人形」「白肉人形」「頭大 (ずだい) 」などの名称で呼ばれることもあります。
宮中の慶事などの際に飾られてきたことから由緒ある人形とされ今でも人気があります。

博多人形(はかたにんぎょう)
いまから400年以上も前の1600年(慶長5年)、九州博多(福岡市)の初代藩主である黒田長政による福岡城築造の際に多くの瓦職人が集められ、その中の一人であった正木宗七が城の瓦を焼いた余技として人形を作り献上しことが由来となり名付けられたのが博多人形になります。
そして以後、正木宗七の家系である正木家は代々藩の御用焼物師として主に実用品製作の家業を受け継ぎ、1818年(文政元年)から1830年(文政13年)の文政年間 4代宗七の時に親交のあった人形師である中ノ子吉兵衛が宗七焼の陶芸の技法を生かして製作された品々が後の明治期になりパリなどの国際的な展覧会で高く評価され日本を代表する人形の一つとなりました。
制作工程には『型作り』『生地作り』『焼成』『彩色』など多数の工程があり、熟練を要する技術が必要とされています。
また種類が豊富なのも特徴で『女もの』『男もの』『子供もの』のほかに、能や歌舞伎を題材にしたものや浮世絵ものなどの伝統ものや近年は干支ものなども人気を集めています。

奈良人形(ならにんぎょう)
奈良人形とは奈良名産の木彫りの彩色人形になります。
江戸時代初期から中期にかけ奈良の春日大社の祭具や田楽法師の笛役の笠などに付けた高砂の翁姥や猩々の人形を参考に春日の檜物職であった岡野平右衛門(岡野松寿)が檜物の製作する傍らに製作されたのが始まりだと言われ、木彫り人形の多くは木地に胡粉を塗り盛り上げ彩色をしたものに織物や反物の切れ端である裂地などを着せ付けるのに対し、奈良人形は素材を生かして木彫の味を表現し製作されたのが特徴になります。
ヒノキ材を湯に浸して油を抜き、小形の一刀を用いて刀痕を残し荒彫りに仕上げる技法から『奈良の一刀彫』とも呼ばれています。
幕末から明治期にかけては木彫家である森川杜園が鹿を主題とした作品が注目を浴び奈良人形という名が更に広まりました。

こけし人形
皆さんがイメージする現在のこけし人形のデザインは、主に江戸時代中期以降の享保の頃に生まれたものとされています。
しかし、現在のこけし人形とはデザインこそ違えどこけし人形の原型があったとされているのが、称徳天皇が世を治めていた718~770年に製作された木製の塔婆、いわゆる供養する塔だと言われています。
また称徳天皇が木地師に轆轤挽き木製三重小塔を100万個製作することを発願し、完成した塔は「百万塔」と呼ばれています。
百万塔の完成後、轆轤挽きの技術を学んだ木地師が関東や東北、四国や九州など様々な土地へ移住し現在の日本各地の湯治場へ移住した際、お盆やお椀を製作する他に木製の玩具も製作するようになりました。
その玩具の中の人形が現在のこけし人形となっていったのです。
そして木地師が古くから伝えられてきた「伝統こけし」と呼び、その「伝統こけし」をベースにして現代的なデザインを施した人形が「創作こけし」と呼びます。
その他にも木彫りの人形を意味する木偶から由来して「きでこ」と呼んだり、木を削るということから「木削子こげし」と呼んだり種類や地域によって色々な呼び名があるこけし人形ですが、そもそもこけし人形の「こけし」と言う名前の由来は諸説あります。
江戸時代の子供達は男児女児ともに髪の手入れしやすいよう頭頂部の髪だけを残して丸坊主にしていることが多く芥子坊主、芥子の果実によく似ていることから小芥子(こけし)と呼ばれていたのがそのままこけし人形に由来されたと言うのが最も有力な説とされています。
なおそれまで呼び名が複数あったこけし人形ですが、1940年(昭和15年)に戦前からあったこけし愛好家の会である「東京こけし会」で開催された総会によって、「こけし」と統一されることとなりました。

御台人形(おだいにんぎょう)
御台人形とは、木製の台の上に身に丈1尺ほどの御所人形と松竹梅などの造花、毛植細工した小動物や人形などを取り付け、能の舞台や吉祥物などを表現して製作された日本人形になります。
宮中において皇族の子女方が天皇・皇后両陛下から初参内・初節句などの折に拝領される特殊な御所人形となり、限られた宮廷文化の中で扱われてきた御台人形は、民間で使用されていた人形とは一線を画する日本人形になります。
中でも大きい頭に白い肌で幼児の姿をした御所人形は、江戸時代には高貴な人々の間で贈答品として愛好されていました。

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